青森県弘前市
こぎん刺し
「こぎん刺し」は、江戸時代に端を発した津軽地方に伝わる刺し子技法の一つです。
藍染めされた麻の野良着「こぎん(小布)」に、白い木綿糸を刺し込み、粗い布目を補強し保温性を高めました。
1年の半分近くを雪に閉ざされ、経済的にも社会的にも制約されていた厳しい生活の中、
こぎん刺しは農村の女性達の嗜みにもなり、衣服を装飾する細かな幾何学模様が次々と生み出されました。
もとになる幾何学紋様
伝統的なこぎん刺しの模様は約 600 パターン程。こぎん研究所 によって基本図案が 300 パターン程選定され、図案の最小要素 となる幾何学模様「モドコ」が定義されました。
日本に民芸運動が起こる中、弘前を訪れた柳宗悦さんにこぎん 刺しが再評価されたことをきっかけに、調査をはじめた「有限 会社弘前こぎん研究所」。青森県弘前市にある工房を訪ね、所長 の成田貞治さんにお話を伺いました。
— こぎん刺しを、どのように研究されてきたのですか?
調査を始めたのは私たちの会社がホームスパンを手がけていた昭和の時代です。ほとんど情報がなかった当時、農家の方にお話を伺ったり、古い衣服や材料を集めては模様をグラフに写し取り、一針一針刺してこぎんの模様を確かめていきました。
— こぎん刺しの刺しの特徴とは?
こぎん刺しというと、縦糸を1・3・5・7と奇数にひろって織り目に刺す「奇数刺し」が特徴ですが、最初の出発は偶数だったようです。いつしか偶数よりも奇数の方が模様の構成がしやすいと気づき、津軽の人達は奇数にうつっていったと。
— こぎん刺しの制作で、ポイントとなる工程は?
仕事の中で一番大変なのは、オリジナルの生地制作をお願いすることです。生地には緩くもなく強くもない、微妙な加減の織り目が必須です。織り上がりが安定していなくて、糸と糸の隙間が狂ったり、縦糸が一本でも切れていると、糸を刺していけないので、細かくチェックしています。滋賀県の方で春先にまとめて必要な生地を織ってもらっています。一年分で約3000メートルの量になります。
— こぎん刺しの魅力はなんですか?
やはり幾何学模様です。用途の違いはありますが、まるっきり同じ幾何学模様とパターンが世界中に存在しています。こぎんの場合は、江戸時代の農村の人々の衣服に施されていた模様です。オシャレをしたい女性達は、人と同じ柄は着たくないという競争心もあり、少しずつ模様を変化させていき、沢山の幾何学模様が表現されました。ある意味では、こぎんは音楽と似ています。ドレミファソラシドの8音しかないけれど、順番を組み替えたり長短を変えると、無限の曲が生まれますよね。
— こぎん刺しを伝えていく時に感じていることは?
私たちには過去から受け継いでいる仕事を、中間で預かって次に伝えるという役目があります。例えば、こぎんにはこぎんの法則があり、単体の模様を崩してしまうと、こぎんではなく“刺繍”となってしまいます。手芸を批判するということではなく、昔あったこぎんを正しく伝えていくことを大切にしています。
— 伝統を守りながら新製品をつくる難しさはありますか?
伝統を守るということが何かを考えた時に、商売として成り立たせて生活することを度外視できないと思うんです。私たちの製品では本来のこぎんの基本色以外に、お客さんの要望を受けて、赤や紫など9色の展開をしています。紺以外の色は邪道なのかもしれませんが、伝統工芸に触れるきっかけになり、お客様の暮らしに沿うならば必要だと。古いものには古いものの良さが、新しいものには新しいものの良さがあると思います。
成田貞治(なりたさだはる)
1949年生まれ。青森県弘前市生まれ。1979年に父・治正の要望で、有限会社弘前こぎん研究所に入社。1982年3代目所長に就任。こぎん刺し製品の生産や販売などを通し、こぎん刺しの普及と伝承に努める。
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弘前こぎん研究所が入居する建物は、ル・コルビュジェの基で学び、戦前戦後の日本の建築に大きな影響を与えた建築家・前川國男の処女作。
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成田さんの足下には、こぎんのスリッパ。観葉植物の敷きものや小物入れなど、工房のあちらこちらで、こぎんを見つけることができる。
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こぎん研究所が所有する、古いこぎん刺しの衣服。1724年の「農家倹約分限令」により、農民は木綿の着用が禁止され、紺の麻布を着ていた。
弘前こぎん研究所
住所 : 青森県弘前市在府町 61
営業時間 : 9:00-16:00(最終入館)
(休憩12:00-13:00)
定休日 : 土・日・祝日
電話番号: 0172-32-0595