東北STANDARD

カネイリミュージアムショップ

協賛: キヤノンマーケティングジャパン株式会社

青森県八戸市

南部伝承イタコ

イタコ。
「南部地方」と呼ばれる、青森県東部や岩手県の北部・中部には、現在でもイタコがいます。
街中に「イタコはこちら」なんて看板が出ていますし、飲み屋のおばちゃんが「昔、熱が出たらイタコさんにかかったわ」
なんて話してくれたり、その存在はわりと当たり前のように受け入れられています。
死者の霊を降ろす、本州の最果ての恐山にいる、おまじないで病気を治す、などと断片的に耳にするイタコの情報はとても不思議なものばかり。
この東北の南部地方特有のイタコという文化は、いつから始まり、どのように社会の中に存在してきたのか。
南部地方に伝わる由緒あるイタコの後継者である松田広子さんと、南部地方の郷土史を研究している江刺家均先生にお話しを伺いました。
「そもそも、イタコってなんですか?」

イタコと口寄せと恐山。

東北スタンダード(以下、T): イタコといえば恐山という印象がありますが、そもそもイタコと恐山ってどういう関係があるんですか?

江刺家均(以下、E): 明治の終わり頃、日露戦争、日清戦争でたくさんの方が亡くなりました。戦争で亡くなった方の声を聞きたいと思う方々のために、亡くなった方の魂を呼び出すイタコが口寄せを行ったんですね。この南部地方では、死者の魂は恐山の方に行くと信じられていまして、他にも出羽三山の月山とか、羽黒山とか、津軽地方の方では五所川原市の川倉地蔵尊、秋田の方では男鹿半島の太平山とか、そういうところでイタコが集まって口寄せを行う、「イタコマチ」というものが出来上がりました。いまでは、イタコは普段、自分の街に住んでいるのですが、恐山大祭のときなどは、その名残で恐山に出向いて口寄せをすることがあります。

T: 修行を終えた松田さんも恐山で口寄せをしたんですね。そもそも、おいくつくらいで独り立ちをするんですか?

松田広子(以下、M): 19歳のときでした。
まずは水垢離(みずごり)をしました。本来ですと小さい桶で、水を33杯かぶらなくてはいけないんですが、水代も時間もかかるということで、一升のバケツに3杯ということに簡略化して、朝昼晩にかぶって。
1日1つ、本事(ほんごと)の経文を覚えるようにして、それを最後にすべて言えるかを師匠にチェックしてもらう。そうやって修行が終わりました。

T: 最初に恐山で口寄せを行った時はどうでしたか?

M: 恐山で口寄せをした時は……見世物っていう感覚ですね。 檻に入った動物の気持ちがよくわかりました。
なんでこんなに若いのに恐山に来てるんだろう?って。誰もイタコだとは思わなかったみたい。

E: その当時は10人くらいのイタコさんがいたっけ?

M: そうですね。

E: 10人くらいのイタコの中に、松田と、同時期に入った日向という若い二人が並んでいるという(笑)
他のイタコの方々は目が見えない方ですけど、若い二人は正眼ですから、色々興味本位の方も多くてね。

T: そんなアウェイの中で口寄せをしたと。最初のお客様とのことを覚えてますか?

M: 緊張しましたね。上手に仏さんの言葉を伝えられるか心配でした。
まだ未完成なところもあって、数珠と口寄せとがバラバラで全然合わなくて。「ごめんなさい、上手くできませんでした」と。
2日、3日と経つにつれて慣れてきたし、他の方のやり方を真似したりして、徐々に上手くなっていったように思います。

T: 「口寄せ」とは、どんなことを聞かれることが多いのですか?

M: 「ちゃんとわたしたちの供養は届いているか?」とか「ちゃんと温かい極楽浄土にいるか?」とか。「成仏できているか?」とか。そういったことを聞かれることが多いですね。
苦しんで亡くなられた方ですと「まだ痛いか?」とか。
たまに、「これから自分はどう生きていけばいいでしょう?」という漠然としたことを聞かれることもありますが、それは自分自身で考えないといけないと思うので、触れにくかったりしますね。

T: イタコをやる上で、気をつけていることはありますか?

M: 常に中立の立場でいる、ということですね。
感情移入してしまうよりも、どちらかというと第三者的な考え方でいた方が良いと思っています。