東北STANDARD

カネイリミュージアムショップ

協賛: キヤノンマーケティングジャパン株式会社

岩手県盛岡市

人と山の境界、人と獣の境界。「鹿」という存在の変容。

人が獣になるという行為。

田附勝(以下、田):
小岩くん的には出身が岩手の一関で、実際の野生の鹿との出会いもあると思うけど、そういうの何か感じたりするの?

小岩秀太郎(以下、小):
意外と鹿と触れ合う機会って無かったんですよ。だから岩手と鹿がセットになってるっていうのは、俯瞰して見て初めて思ったんです。鹿猟の話とか、鹿角を使った縄文期の何かが発掘された、とかそんなに身近に感じてなかった。海の方、五葉山とか大船渡とか釡石とか、あのへんに行けば鹿もいるんだろうと思うんですけど。内陸の方だと「アオジシ」、つまりカモシカとかが多くて。あまり鹿に関しては身近じゃなかったんですけど、調べていくうちに鹿と岩手の切り離せない関係が見えてきました。ぼくもこのあいだ偶然知ったんですが、ぼくの家は600年くらい続いている古い家なんですけど、マタギのようなことをやっていたらしいんですね。このあたりではマタギとは言わないんですけど。だいぶ遠い先祖の話のようですが。熊を狩ってたって。その話を聞いて初めて、うちの血筋が、鹿を獲ったり熊を獲ったりして、山や鹿と近い存在なんだなって実感したんです。

田:
例えば鹿猟だったら、全国的にやってるでしょ。長野の方でもやってるし、兵庫の方でもやってる。でも岩手は鹿に対する考え方がどうしてもちょっと違うというように感じている。今ちょっと思ったんだけど、昔にさ、鹿の肉を食らって、面をかぶってさ......

小:
獣性、獣になる。

田:
そうそう、そういう獣になるという行為を大事にしていたんじゃないかな、って気はする。今でもそういう人はいるんじゃないかなと思うな。

小:
そうですね、ぼくもそれはなんとなく思いますね。

田:
ねえ。

小:
決して越えられない人間と山の関係性の中で、その境界を越えて一緒になっておかないといけないって感覚を持っていたんじゃないかな。

田:
そうだよね、それは岩手というか東北が大事にしていたというのが凄いと思う。

小:
確かにそれは思いますね。ただでさえ食い物が少なかったから。その食い物を荒らしに来る獣、そしてその獣を獲って食べるということ、それは自然なことだったんじゃないかな。

田:
今の鹿踊の踊っている人たちはさ、鹿と鹿踊のアレは別個の物だと考えてるの?

小:
今は別だと思ってるんじゃないですかね。
だって鹿を食べる機会ってもう何十年もないと思います。猪なんかも最近ですよね、南から北に上がってきたの。まあ昔はこの辺にもいたみたいだけど。骨とか牙とか出てきているみたいだし。ただ、獣の食べ方を知らない、獣との付き合い方を知らない、そんな今の人が踊りを踊ってても、そんなに関わりを感じないんじゃないかな。

放射能、そして喰われなくなる鹿。

田:
じゃあ、震災ってことで少し話してみたいんだけど。

小:
はい。

田:
今度「おわり。」っていう写真集が発売されるんだけど。
その前に、「その血はまだ赤いのか」っていう写真集を作っていて、それは震災の後の2011年11月19日、20日の二日間の鹿猟の時に撮った写真をまとめたのね。展示もした。どういうことかというと、要は震災の後に、猟に出るか出ないかわからないってなってたのね。ぼくに良くしてくれる人は釡石の五葉山のあたりで鹿猟をしてたんだけど、そこの野生動物、鹿とかに放射性物質が付着しているかもしれない。猟を自粛しなくちゃいけないかもしれない、ってなってて。その当時は、伝統芸能とか行事と同じように、その時期が来たから猟に出た。やろうって言って。実際、放射能のこともあるけれど、猟っていうのはグループ猟だから、巻き猟だから、少なくとも6~7人でやるんだよね。撃つ人がいて、勢子(せこ)っていう鹿を追っていく人がいる。チームでやるんだけど、やっぱり津波で銃を流されたりする人もいるから少ない人で始めて。そんな中でやった二日間の猟をおれは撮った。
それで、その3年後にさ「おわり。」って写真集を出した。なんでこのタイトルかというと、さっきの2011年の11月の猟から、彼は猟をしなくなったんだよね。鹿、食べられないんだよ。放射性物質のせいで。だからやらない。それで月日が経って、結局今年の四月にもう猟はやらないって決めて。そういう辞めざるを得ない現実が岩手にはあって、まあそれは一部かもしれないけど、これから先、彼らはどういう風に野生の鹿と付き合っていくの、って。
これまでは、ただ食料として付き合ってたし、その肉を自分たちがいただくという価値観で猟をしていたんだよね。行事。アメリカみたいな、鉄砲で打つこと自体がゲームみたいな、ハンティングみたいなことではない。まあその行事が閉ざされて。
結局はさ、山と一緒に暮らしてるわけなんだよ。だからさ、猟期じゃなかったら鹿を保護したりする。例えば写真集の中にもある三本脚の鹿とかね。そういう暮らしの中で、猟をするっていうのは意図的に鹿を間引くってことじゃん、山が荒れないように、山を守るために。これからはさ、鹿が凄い増えていくわけじゃない。実際、少し前からそうなんだけどさ。鹿が増えるっていうことはさ、山の中の食べ物が足りなくなるから、農作物を荒らしに山から降りてくるということでしょ。

小:
猟師も減ってますしね。

田:
鹿がさ、つまり害獣って呼ばれるようになるってことだよね。特に岩手のような、鹿と密接に関係していた土地がさ、伝統行事も伝統芸能も含めて、深い関係性の中に鹿という存在がいたのに、それが害獣になるってさ。これまではさ、鹿踊なんて、鹿の格好をして踊るってことは、ある意味では神の使いとか神の代理みたいなことだと思ってたわけ。それがさ、野生の鹿が害獣になって悪いものに転化するわけでしょ?それってどうなんだろうと思って。

小:
はい。

田:
5年とか10年とか経って、農作物を荒らす鹿が増えて、みんなが「鹿は嫌だ」ってなったときにさ、踊るか?

小:
そうですよね。特に鹿は、鹿だけじゃないですけど、今の獣に関しては放射能の問題は大きいです。食べられないものを獲るのかって話も震災後に出てきた話です。もともと猟師さんが減っていて、獣が増えて、獣が住む土地も狭くなって山から出てきて、それで害獣になってきた。それで有害鳥獣として駆除しなくちゃならなくなっている。食べるためだけじゃなくって害獣駆除したり、ハントしたりしなければならないわけですよね。この原発の問題っていうのは、食べれもしない獣を、楽しみで撃つとか、そういうのを考え始めるきっかけでした。ぼくは震災前は鹿との関わりをそんなに考えないで踊っていたんだけど、震災以降は鹿との関係を考えて、食べられもしな い、害獣として駆除された獣をどうやって救ってあげられるだろうか、初めて考えることができた。そんな風に、害獣とされた鹿に対する憐れみの思いを投影して鹿踊を踊ることはやぶさかじゃないし、福島とかその辺りで手をつけられない獣が増えた時に、獣なんて要らないよねって殺されていく時に、踊ってあげることで彼らの思いを何とか表現してあげようっていう風に。それはもしかしたら昔にもあったかもしれないですね。

田:
そう、そう思うんだよ。ずっと繋がってるというか。今はたまたま震災で、原発で、そういう意識になっているけれども、昔はまた昔であったんじゃないかな。だから俺はいつも日本を撮るテーマとして、「土地は覚えている」って思ってやってきた。いまは無くなっちゃっても、小岩くんも言ってたようにさ、30年くらいやられてなかった伝統芸能が、結果的に何かのアクションで起き上がってくる。絶対。そういう意識をみんなに持ってもらいたいなって思うんだよね。

小:
そうですね。

田:
本当の鹿踊の姿を見たければ、お盆に行く、というのは絶対条件じゃん。それを知らないで「伝統芸能です」みたいなことをやって、結局みんながつまんない、みたいなのはダメだと思う。特に岩手の人々こそが、自分たちのところにある芸能をもっと知った方が良いよ。

小:
偉そうですけど、踊ってる側よりも、見る側がそういうところに踏み込んでいける環境を作らないといけないし、踊ってる側も踊ってるだけっていうことが多いから。見る側と踊る側だけじゃなく、いまどんなことをやっているか、っていうエクスキューズを入れるもう一人がいなくちゃいけない時代になっていますね。

田:
そうだね。土地を理解することで、土地を知ることで、その土地が持つ何かをもっと引っ張ってこれると思うんだよね。俺は東京に住んでて、東京の何を知ってるかといえば全く知らないんだけど、興味深いって思うんだよね。俺はある意味ではストレンジャーとして、そういう土地にあるものを見続ける、知りたいから、知りたいことを記録していく。だから、そこに住んでる人はさ、自分の土地のことを知るべきだよ。岩手とか東北はそれが強みでもあるわけだし。

鹿踊と鎮魂。

金入健雄(株式会社 金入/東北STANDARD 代表/以下、金):
小岩さん、2014年の1月に大船渡でやった、三陸国際芸術祭のことを少しお話してもらえますか?

小:
はい。田附さんが撮った写真を使ったポスター、持って来れば良かった......。
三陸国際芸術祭っていうのは、まあ言ってみれば芸能大会なんですね。でも、舞台ではなくて、山や海や森で踊るというイベントなんです。外で踊ることで、そもそもの芸能というのが山や海からきているんだよ、っていうことを想像してもらいやすいフェスティバルだった。例えばポスターを作るにしても、ちゃんとそういう思いを伝えたかった。だから田附さんの写真から、芸能の背景を感じてもらいたかったんですね。

田:
俺はその踊りを見たら、化け物なのか、妖精なのか、精霊なのか̶精霊って言った方が正しいかもね̶そんな風に思うんだよね。それは踊ってる時はもちろんなんだけど、立ってるだけで感じられると思うわけ。

小:
元々、山や海にあるものが、そういうもの(化け物とか精霊みたいなもの)だ、って思うところまで芸能を見て感じてほしいというか。そうなったら近くで見てみたいって思うんじゃないかなと。

田:
それでさ、こうやってまとまって写ることってなかなか無いでしょう?

小:
無いですね。みんな「なんで?」ってかんじで。

田:
始まる前からそういうかんじあったね。だから一緒に並んでって。

小:
芸能って、例えば鹿踊にしても、どこかの土地に一つしか無いものではなくて、すぐ隣のコミュニティーにも同じような鹿踊があったりするものなので。隣町の鹿踊をみて「俺たちはもっとかっこいいのをやってやる!」って言いながら、お互いに競い合って良くしていったり。

田:
俺、見てないんだけど最終日。

小:
最終日は夜に外で踊るんですけど、まあ夜に外で踊るっていうのはやはり踊り手にはすごく負担なんですね。フェスティバルみたいなところだと。それが自分の村のお祭りだ、っていうのであれば夜までだろうが朝までだろうがなんでも良いんですけど。とはいえ、一度皆さんに鹿踊はこういうものなんだ、って見せたかったので、最後の夜に持ってきた。で、9地区の人たちが集まって一斉に踊るということをしたわけです。50人くらい集まって。さっきも言ったように鹿踊は元々供養の踊りなんで、夜に被災した海のそばでこの鎮魂の踊りをやる、しかもこれだけの数が山の向こうからやってきて踊る、これは凄いことだなあと。こんなのいまだかつて無いですよね。これはたぶん、みている人に一発で鹿踊ってなんなのかを知らせることができたんじゃないかと思っています。

田:
超えたなってかんじあるよね。

小:
そう。いちいち説明しなくても、これだけの数が暗闇の中からざざざってやって来たら、何も言わなくても凄いとしか言いようがないですよね。その「凄い」の先にあるものは何なのか、それを考えるきっかけにはなったんじゃないかな。

田:
来年もやるらしいので、みなさんも見にいってはいかがでしょう?

小:
大変なんですよ、これ。でもまたできるといいですね。