東北STANDARD

カネイリミュージアムショップ

協賛: キヤノンマーケティングジャパン株式会社

岩手県盛岡市

遠野の神社という場所、そこで踊った鹿踊のこと

金入健雄(株式会社 金入/東北STANDARD 代表/以下、金):
これまで色々なところで鹿踊を踊られてきたと思うんですが、その中で印象に残っている場所や体験はありますか?

小岩秀太郎(以下、小):
昔はできれば大舞台というか、たくさんの人の前で踊るのが良いなと思っていたんですけど、最近はだいぶ変わってきて、芸能というのがどうやってその土地で伝わってきたかということを考えると、別に人に見られてなくてもいいや、踊らなくちゃいけないものは踊らなくちゃいけないんだ、というように思うようになってきました。
だから、岩手県の遠野の神社、遠野郷八幡宮で、奉納をするための踊りをしたのは自分の中で大きな出来事でした。それは自分たちから神社の方に「やらせてください」と言ってお願いして実現しました。やっぱりそれは人が居ようと居まいと、その土地のその場所に言って、そこにおわしますものとか、居るようなものたちとか、神なのか、森なのか、人なのか、獣なのかわからないですけど、そういうものがなんとなく居て、それに対しての歌や踊りをするという感覚を持つことができました。
感じたことといえば、これまでよりも「歌」が大事だなって思うようになりました。若い人は特にそうなんですけど、声もまだ渋くないし、踊りほどかっこよくないというか地味なので、歌に対して興味がない人が多いんですよね。でも今回の経験を通じて、鹿踊の表現において「歌」はとても大事だなということに改めて気付きました。
たとえば、その土地のその場所を褒める「褒め歌」という文化があるんですけど、その場所、例えば鳥居や階段、本殿、庭、神官などに行って出会ったもののことを即興的に歌を歌って褒めるという文化なんですね。今回神社でその「褒め歌」を歌っているうちに、その大切さを再発見したというか、再体験したというか、いずれにしろもう一度習ってみようと思って。そういう文化をきちんと残していきたい、というのはありますね。海外でやったこともありますけど……うん、神社とか仏閣でやるのは結構いいなって思いましたね。

金:
小学校の頃に鹿踊に出会って、今の歳まで一貫して鹿踊に興味を持ち続けていらっしゃいますが、一番の魅力ってどういうところになりますか?

小:
年々変わってきてはいるんですが、一番最初はさっき言ったように、見た目とか、かっこよさとか、踊ってたら褒められるとか、そういうことでした。
今はそうですね……その土地、その地域にしか無い踊りを、何百年も前からある踊りを、こんなテレビもカメラもあるような時代になっても、僕らに「やってみたい」と思わせる感覚がすごい、というか。一番最初に鹿踊を始めた人なんて絶対もう亡くなってますし、子どもたちも嫌々やらされていた時代もあったかもしれない、でもまだ続いていますし、「やんなきゃいけない、続けていかなきゃいけない」、って思わせる何かがある。そういうの、すごい良いなあ、って思うんですよね。
今の時代、昔の人のことを思い出してみようっていってもなかなか難しいですし、でも鹿踊には、そういうものを思い出せるきっかけになる。踊ったり歌ったりしているうちに、俺ってちゃんと昔の人の末裔だな、っていうようなことを思い起こさせる力を持っている。それは鹿踊だけじゃなくって、全国の芸能が持っている力で、そういうところが郷土芸能の魅力なんだなって、最近は思うようになってきたかな。

金:
今後、鹿踊がどのようになっていくといいな、というような目標や小岩さん自身の願望、夢などはありますか?

小:
まあ、鹿踊だけじゃないんですけど、郷土芸能自体がその土地にしかないものだ、ということをそれぞれの土地の人たちがもう一回再発見するような機会をいっぱい作れるといいなと思います。
昔の人は、すごい狭い世界しか見られなかった、そして、その狭い世界でコミュニティを作ってきたんですが、今はもう、そういう時代じゃなくなってますよね。いまの時代、コミュニティには新しい人も新しい情報もどんどん入ってくるし、そこに住んでいる人は昔みたいに1つの文化や価値観で生きているわけではないんですよね。それでも、その土地のものをちゃんと残して、時には新しい良いものを取り入れつつ、それぞれの土地の神髄を求めて行けるようになると良いなと思います。そのために、必要な情報をお互いに交換したり、大変な部分を共有して相談したりするお手伝いをしつつ、郷土芸能に興味のない人たちに、その良さを伝えていけたらいいな、と思っています。

例えば、今回の遠野の奉納でも4つの鹿踊の団体が出演しました。会場となった遠野は、南部藩の土地なので鹿踊の中でも「幕踊り」の土地になります。そんな遠野に、伊達藩の鹿踊がやってきた。遠野の地元の人からいうと、昔だったら「何しにきやがったんだ、この野郎」ということなのかもしれないんですけど、他にも花巻だったり、一関だったり、江刺だったり、土地でいうと50kmは離れていて、昔は交流がなかったような地域同士の団体が集まって、一緒に鹿踊を盛り上げていこうよって。
いまはネットやSNSで交流ができる時代だから、鹿踊について話しているうちに、せっかく踊るんだったら、根本的な、昔やっていたようなところで踊りたい、そこにおわしますものへ歌と踊りを届けたい、というような声が上がってきた。その時にたまたまSNSで遠野郷八幡宮の人と知り合って、うちの神社を使ってやってみてくれ、という話になったんです。
遠野の中にも、幕踊りじゃない太鼓踊りをやっている団体がひとつだけあるんですけど、そこも一緒に入ってもらって、一緒に踊りを奉納しようということになって、遠野郷八幡宮で踊ることになったんです。

やっぱり僕にとってはすごく大きかったというか、再発見がありました。神社のようなところで踊るっていうのはすごく大事だと思いました。自分の地域ですらそういうことはできていなくて、やっぱりそういうところで、神社やお寺みたいな、お盆の時期とかにみんなが見てくれるところで踊っていきたいなあ、踊っていかなくちゃいけないんだろうな、と思ったんですね。
どうしても歳をとるとね、そういうの億劫になるんで。本当は踊り手側から自ら「踊らせてください」って言うべきなんだろうな、と思います。
そういう発見のあるイベントに若い人たちが触れられたというのもすごく良かったと思います。
別の地域の人たちと交流して、好きな鹿踊の話とか、続けていくことに対する悩みとか、そういう話ができるような場が、少しでも増えて行くきっかけになったのではないかな、と思いました。

この後、平成27年4月26日。地元舞川の鎮守である菅原神社例大祭に、十数年ぶりに舞川鹿子躍が奉納されました。自分の土地から生まれ育った芸能を、自分の土地で踊る、これほど理にかなっていて自然で、感動的なことはないな、と改めて感じることが出来ました。地元の方々も久しぶりに鹿子躍を見て大喜びだったようです。こうして地域と世代をつなぐ役割になれたら、と思っています。