青森県八戸市
東北スタンダード13 デコトラ
2007年に刊行された、写真家・田附勝さんの初写真集『DECOTORA』。
写真に映し出された数々のデコトラたち。発想と技術と、何よりも誇りを前面に押し出した圧倒的な自己主張は、乗り手であるトラッカーの生き様をありありと表現している。彼らは何を思い、何を目指してトラックを飾るのか。青森県八戸在住の生きる伝説、「The originator of the decoration trackーデコトラの創始者」こと夏坂照夫さんにお話を聞きました。聞き手はもちろん田附さん。夏坂さんの口から語られる、イマジネーションとクリエイティビティの出発点は、ぼくたちが想像しているクリエイティブの概念をやすやすと塗り替える、こだわり抜いた男の美学。ファストファッションだか量産型だかは引っ込んでろ。これが自己表現、これぞアート。八戸発の暴走トラック、全9回に渡る圧倒的ボリュームでお届けいたします。
写真右:夏坂照夫(なつさかてるお)
デコトラ創始者
幼少の頃よりトラックに魅せられ、トラック運転手に。独特の感性と発想力、そして大工修行で学んだ技術を生かして、自分のトラックを飾り始める。そのデコレーションされたトラックで日本全国を走り回ったことにより大量のフォロワーを生み出す。結果的にデコトラブームを引き起こした張本人。
写真左:田附勝(たつきまさる)
写真家
写真集に2007年『DECOTORA』、2011年『東北』、2013年『KURAGARI』、2014年『「おわり。」』2015年『魚人』等がある。『東北』で2011年度木村伊兵衛写真賞受賞。現在は、縄文をテーマに撮影を続けている。tatsukimasaru.com/
夏坂少年、トラックと出会い、ハマる。
T:僕は1998年から2007年までの間、デコレーショントラック、いわゆるデコトラを撮り続けて、『DECOTRA』っていう写真集を作りました。じゃあな、何で僕がデコトラを撮ってきたかっていうと、もっと日本のことを知りたいと思ったんですよ。マイノリティーっていうか、こう、一般には見えないところで活躍している人の中から、日本の姿が見えないかなって思ったんですよね。
N:なるほど。
T:その頃、僕はまだ写真家としてはひよっこで、そのころはまだトラック配送の助手みたいなことをやっていたんですよ。
N:やってた?
T:そう。助手やってた。コピー機をトラックに積んだり降ろしたり。で、そのトラックの運転手がデコトラ好きで、『カミオン(*1)』とか『トラックボーイ(*2)』とかが、運転席に積んであって。
*1 カミオン:芸文社から発行されているアートトラック(デコトラ)雑誌。
ちなみに「カミオン」とは、フランス語でトラック(truck)のこと。
*2 トラックボーイ:同様に日本文芸社から発行されていたデコトラ専門誌。現在は廃刊。
N:どこでやってた? 千葉? 茨城?
T:東京です。 僕は『トラック野郎(*3)』ってリアルタイムじゃないんですよ。僕は1974年、昭和49年生まれだから。お昼の再放送の映画番組で見てたような……。
*3 トラック野郎:主演・菅原文太、助演・愛川欽也による映画シリーズ。元々『ルート66』のようなロードムービーが作りたかった愛川欽也が、偶然テレビでデコトラの映像を見たことによって企画され、東映によって制作された。1975年から1979年にかけて全10作が作られた。菅原文太扮する星桃次郎モデルのデコトラプラモデルが子供たちにバカ売れするなどの社会現象を巻き起こす。
N:うちの娘と同い年か。うちの娘が2つくらいの時には、もうこの車作ったから(手前のデコトラの模型を指差す) 。その後に『トラック野郎』の映画が始まったから。
T:今日は、そのあたりのはじまりのお話を聞きたいなと思ってて。トラックの運転手が、トラックを飾って仕事をするのはなんでかってのを知りたかった。ほら、トラックを飾るって、なんとなく不良っぽく見えるでしょ? どういう意図があってやってるのかってことが知りたかった。
N:たぶんね、田附さんがトラックに乗ってたころには不良的なものがあったかもしれないけど、うちらの頃はそういうのはなかったんですよ。要はね、昔でいう「雲助(*4)」。
*4 雲助:江戸時代の人足の一種。荷物の運搬や旅行者の輸送を行ってきた。語源は、定住せずに「雲」のように周辺をさまようからだとも言われている。多数の善良な雲助もいたものの、たかりやぼったくりを行う雲助も存在したため、現在では侮辱を与える言葉として使われることもある。
T:ああ、「雲助」ね。
N:不良じゃなくて、うちらの頃は「雲助」って言われていた。トラックに乗ってて、魚積んでるのは特に「雲助」って言われてたんですよ。
T:そもそも、夏坂さんが八戸でトラックの仕事に就いた経緯は?
N:親父の本妻の長男が、トラックが好きだったんですよ。百姓の命とされていた田んぼを2反売っぱらってトラックを買ったんです。田んぼを売って、東京に行ってトラックを買ってきた。
T:その時って、夏坂さんはいくつくらいだったの?
N:小学校に入るか入らないくらいだったと思いますよ。その時はまだエンジンをこう、前で回してかけるやつで。
T:うん、そういう時代ですよね。
N:つまり、不凍液(寒冷地において、自動車のエンジン冷却水の凍結を防ぐために用いる液体)もない時代だから、朝になったら水を入れて、オイルを見て、仕事に行って、で帰ってくれば水を抜くんですね。 だから、当時は前で固かったオイルをクランク棒で滑らかにしてからエンジンをかけると。
T:で、それを見てたと。
N:俺は妾(めかけ)の子だったんだけど。俺は小さかったから、本家の長男のところに遊びに行っても可愛がってもらったんですよ。だからトラックに座って、こう、ハンドルを握らせてもらって。それがきっかけで徐々にトラックが好きになって。学校の図工の時間とかに絵を描くじゃないですか、そういう時にはトラックしか描かなくなっちゃって。課題がなんであれトラックの絵しか描かない。お父さんの絵を描きなさい、お母さんの絵を描きなさい、って言われるんだけど、ずっとトラックの絵を描いてて。
T:ははは(笑)
N:で、お祭りとかに行っても、お祭り自体には興味がなくって。露店で売ってるブリキのトラックのおもちゃにだけ興味があって。その当時ね、そのおもちゃが200円とか300円。小遣いなんて5円とか10円もらえたらすごい方だから、子供からすると相当高い。
T:それを買ってもらうの?
N:いや、それを買うためにずーっと5円とか10円とかを貯めておくんですよ。1年かけて、お祭りまでに貯める。で、お祭りに行って、ブリキのトラックを買って、すぐに帰って。
T:じゃあお祭りの目的はそれを買うため。
N:そう。お祭り自体はどうでも良い。
T:ですよね(笑)
N:でも、そのトラックでは遊べない。もったいなくて。もう宝物だから。
T:それでは遊ばないんだ?
N:それでは遊ばない! もったいないから遊ばない。代わりと言ってはなんですが、川原の砂場に行って、ゴムの靴に砂を入れてトラックに見立てて、ブーンって言いいながら遊んでた。
T:頭ん中ではその靴がトラックなんだ(笑)
N:うん、イメージ(笑)。靴に砂を積んだり石を積んだり。イメージで(笑)。道路を作って砂を運んで。
T:それが小学生くらい?
N:そうですね。小学校の2〜3年ぐらいだね。それは。