東北STANDARD

カネイリミュージアムショップ

協賛: キヤノンマーケティングジャパン株式会社

青森県八戸市

東北スタンダード13 デコトラ

2007年に刊行された、写真家・田附勝さんの初写真集『DECOTORA』。
写真に映し出された数々のデコトラたち。発想と技術と、何よりも誇りを前面に押し出した圧倒的な自己主張は、乗り手であるトラッカーの生き様をありありと表現している。彼らは何を思い、何を目指してトラックを飾るのか。青森県八戸在住の生きる伝説、「The originator of the decoration trackーデコトラの創始者」こと夏坂照夫さんにお話を聞きました。聞き手はもちろん田附さん。夏坂さんの口から語られる、イマジネーションとクリエイティビティの出発点は、ぼくたちが想像しているクリエイティブの概念をやすやすと塗り替える、こだわり抜いた男の美学。ファストファッションだか量産型だかは引っ込んでろ。これが自己表現、これぞアート。八戸発の暴走トラック、全9回に渡る圧倒的ボリュームでお届けいたします。

映画『トラック野郎』と夏坂照夫

N:哥麿会の宮崎靖男さんとは、古くからの知り合いで。声をかけられて。たまたまあの映画が始まった時に携わってた哥麿会の人で、後々東映のスタッフになるわけだけど。

*8 宮崎靖男:哥麿会初代会長。映画『トラック野郎』の制作に携わる。俳優としても哥麿(うたまろ)役で映画にも登場している。

T:映画『トラック野郎』のね。

N:「映画作るから、協力してくれ」って。「お前の車は東京から北海道までの中で一番のトラックだから」つって。それで協力することになるわけだ。

T:で、全国的に知られていくってのもあるんだ。

N:それで俺の名前とか車とかが映画に出るってことなって、子供にもみんなにも見られてしまうわけだ。第1作目は、東映が俺の先輩のトラックを100万円で買って。そこに画を描いてスタートしたら当たっちゃった。それで新車のトラックを買って……。当時は『男はつらいよ』と競争してて、その頃からトラックブームが本格的に、一気に始まった。今の哥麿会三代目会長の田島さんなんかは、その頃に映画とか雑誌とかを見て始めたんだよね。その時はもう俺はこんなだからね(自分が載った雑誌を指差す)。

T:そうですよね。

N:トラックの部品というか、デコトラのパーツなんかも売られ始めてきて。今はどこでも売ってますけど俺らの頃はそういうの無かったから。

T:作ってた。

N:で、気づいたら姫路に(そういう部品を売っているショップが)一軒あって。あと横浜にあった塚本屋さん(塚本屋中村商店。『トラック野郎』3作目までの装飾を担当)。塚本屋さんなんかボロ家の小屋でやってたからね。そこから一気に商売になるわけだ。
宮崎会長はダンプに乗ってたんだけど、知り合ったばかりの頃は飾ってなかった。俺らの車を見てダンプを飾った。その頃から関東の車の間で一気にブームになってくんですよ。

T:あーそういう風になってくんですね。

N:広がっていくんですよね。全国的に、一気に。俺も仕事であっちこっち行くから、例えば九州とか行って色んなことを教えるじゃないですか。そしたら一気にどんどん広がるようになって。関東の知り合いだった先輩の寺門さんなんかは椎名急送(千葉県の運送会社。「由加丸船団」という名前で『トラック野郎』シリーズに多数のトラックを出演させている。デコトラ界の重鎮)さんでやってましたけど、椎名の会長さんだって昔はあんなのじゃなかったもん。

T:僕からしたら大御所ですけどね(笑)

N:要は「レジェンド・オブ・椎名」「宮崎会長」って言われてるんだけど、俺にしてみればお互い切磋琢磨してきた時代の人間たちなわけだ。椎名の社長が全国に広めたわけじゃない、宮崎さんが広めたわけじゃない、俺が魚を積んで北海道から九州まで走って広めた。色んな人に恵まれて、色んな仕事をさせてもらったおかげ。だから、東京より西。関西だと神様扱いされる。こないだは岡山に行って真壁さんっていう人がいるんだけど「あんたと会うなんて夢のまた夢だ」って言われた。こっちではなんでそんな風にならないかと言うと、もともとあったというか、石巻にも銚子にも、先代というかそれなりにやってた人がいたから。

T:でも、全国に広めた、っていうのは。

N:うん。全国は、俺しかいないです。

T:それがなんかいいっすよね。