東北STANDARD

カネイリミュージアムショップ

協賛: キヤノンマーケティングジャパン株式会社

青森県八戸市

東北スタンダード13 デコトラ

2007年に刊行された、写真家・田附勝さんの初写真集『DECOTORA』。
写真に映し出された数々のデコトラたち。発想と技術と、何よりも誇りを前面に押し出した圧倒的な自己主張は、乗り手であるトラッカーの生き様をありありと表現している。彼らは何を思い、何を目指してトラックを飾るのか。青森県八戸在住の生きる伝説、「The originator of the decoration trackーデコトラの創始者」こと夏坂照夫さんにお話を聞きました。聞き手はもちろん田附さん。夏坂さんの口から語られる、イマジネーションとクリエイティビティの出発点は、ぼくたちが想像しているクリエイティブの概念をやすやすと塗り替える、こだわり抜いた男の美学。ファストファッションだか量産型だかは引っ込んでろ。これが自己表現、これぞアート。八戸発の暴走トラック、全9回に渡る圧倒的ボリュームでお届けいたします。

八戸の発展、トラック時代の幕開け

T:その頃って、八戸でトラックを持っている人は少なかったんですか?

N:少なかった。今は南部町になったんですけど、昔は福地村だった。その村にトラックが2、3台かな。うちのトラックがそのうちの1台だった。

T:ちなみにその頃、乗用車は周りにはありました?

N:ない。乗用車のない時代。百姓はリヤカー。金持ってるとこで耕運機があったかな? そのくらいの時代。あとは馬車。

T:本当にそういう時代なんすね。

N:だって国道がアスファルトじゃねぇんだもん。砂利道。

T:あーなるほどね。

N:うちらが子供の頃に人気だったのは、八戸にある畑中建設の黄色いダンプカー。この会社はダンプカーを相当な台数持ってた。八戸から三戸に行く道が全部砂利道だからさ、10台も20台もダンプカーが走ると土埃がすごいの。

T:それを子供ながらに見て(笑)

N:夢だった。俺もあんな車に乗りたいなあ、いつか欲しいなあ、って思ってた。そのうちどんどん時代が変わっていって、乗用車のブームも来て。その頃ちょうど、八戸の港が栄えてくるわけ。

T:なるほどね。

N:それまでは、八戸で揚がった魚は八戸で処分して終わってたの。車が無かった時代は。八戸で揚がった魚を、三輪自動車とか2トン車とかで八戸の加工場に運ぶくらいしかできなかった。

T:その程度の運搬量しか無かったんだ。

N:俺が小学校4年とか5年とかになる頃には、どんどん船も進化して、どんどん市場も発展するわけ。そしたらどんどんトラックが増えてくるわけ。その頃は八戸でもマグロが揚がってたんですよ。でも、道路が道路だから、東京に行くのに3日も4日もかかってた。盛岡に行くのに4時間とか5時間とかかかってた時代。今なら1時間ちょっとだけどね。その頃は、仙台に行くのに一昼夜。そんな時代だから、東京まで行ってたら魚も腐っちまう。冷凍技術なんてのも進んでない時代だから。

T:じゃあ中学生の頃はもっと発展した?

N:俺が中学の頃は一気に八戸の漁獲量が増えるわけ。1,000トンとか2,000トンとか。そこでトラックの時代が始まるわけ。 そのころはカクイ(貨物急送)さんとか、大協(運送)さんとかがトラックを持ってて。そこで運転手やってた人たちが金を貯めて、自前のトラックを買って独立していくわけ。ミノダ運送さんとかは「ミノダ学校」なんて言われてて有名で、トラックに乗りたい奴が集まって、一から助手をやって、やりながら金を貯めて、それでトラックを買って独立する、みたいなことになってた。 時代的にも、魚がどんどん揚がってるからトラックを増やさなくちゃ追いつかない時代だったし、でかい運送会社もどんどんトラックを増やして、トラックに乗る人も必要としていた。だから、銚子とか石巻とか茨城とか、富士、清水港の方から噂を嗅ぎつけたトラック野郎が”平ボディ(ごく一般的な『あおり』と呼ばれる物で側面が覆われているだけのトラック)”に乗って稼ぎに来てた。
その頃からまた一気に八戸港のトン数が上がってくるわけ。船もどんどん大きくなる。銚子から、北海道から、能登半島から、九州から、八戸の岩壁が船で埋まってるわけ。漁師だけで2,000人くらい来てて。だから街も港も一気に活気づいた。ネオン街、飲屋街……。 その時、俺はやっと中学が終わり始める頃だった。

T:その頃からトラックを運転しようって思ってたの?

N:それは小学校の頃からずっと思ってた。それで、俺が小学校5、6年の頃にトラックを買ったんすよ。さっき話した本妻の長男の方は大型トラックだったけど、うちの方は2トン車。うちの親父は建築業やってたんだけど、その頃は建築業のトラックはダサいと思ってんだよね。それで、俺が魚用のトラックにいたずらしてさ。そのくらいずっと魚のトラックに乗りたいと思ってた。 まあそんなことをしているうちに、村にいた俺の先輩がダンプを持って。その人のツテでトラックやってる人とたくさん知り合いになったの。まだはなたれ小僧だった俺が。