東北STANDARD

カネイリミュージアムショップ

協賛: キヤノンマーケティングジャパン株式会社

青森県八戸市

東北スタンダード13 デコトラ

2007年に刊行された、写真家・田附勝さんの初写真集『DECOTORA』。
写真に映し出された数々のデコトラたち。発想と技術と、何よりも誇りを前面に押し出した圧倒的な自己主張は、乗り手であるトラッカーの生き様をありありと表現している。彼らは何を思い、何を目指してトラックを飾るのか。青森県八戸在住の生きる伝説、「The originator of the decoration trackーデコトラの創始者」こと夏坂照夫さんにお話を聞きました。聞き手はもちろん田附さん。夏坂さんの口から語られる、イマジネーションとクリエイティビティの出発点は、ぼくたちが想像しているクリエイティブの概念をやすやすと塗り替える、こだわり抜いた男の美学。ファストファッションだか量産型だかは引っ込んでろ。これが自己表現、これぞアート。八戸発の暴走トラック、全9回に渡る圧倒的ボリュームでお届けいたします。

両親との確執と死、そして念願のトラック稼業

N:中学校の頃、先輩のトラックに乗りたくってね。学校休んだりして乗らしてもらってた。その頃はもう絶対に将来はトラックをやろうって思ってた。

T:ああなるほどね。助手みたいなことやりながら、ね。

N:うん。もう絶対になるんだって。でも俺のおふくろも親父も、許してくれなかった。

T:それは何でなんですか?

N:トラックは一気に進化したものだから、親父とおふくろは古い考え方で、結局「馬車引き」だろって言うんだよね。馬車引きでお金を残した人はいないだろっつうんですよ。馬方(うまかた)、船方(ふなかた)、土方(つちかた)っつって、そいつらは三方(さんかた)って呼ばれてたんだけど、みんな酒で人生を滅ぼすんだからって言われてた。

T:なるほどね。当時はそういう風に言われてたんだ。

N:呑む、打つ、買う、と。そういうイメージだった。

T:なるほどね。で、やるなと。やめろと。

N:おふくろは「トラックの雲助みたいなのには嫁も来ないし、家も建てれねえし、何もできねえ」って言われてて。まあそれは世間一般そうだったんだけど。大工、左官、屋根屋とかね、そういう風に、手に職を持てって言われてた。要は職人だったら良いと。でも俺の決心は固かったから、「よし分かった、トラックの職人になれば良いんでしょ」っつって。
で、中学校が終わったらすぐに、うちにあるトラックに乗って、大型トラックにも乗って、大型ダンプにも乗って。無免許で(笑) 先輩に教わって。トラックの職人になろうと思って。
少しして、たまたま先輩に連れられて出歩いてた時に出会った人に「4トントラックやってみないか?」って誘われて。

T:誘われた?

N:うん。16か17歳の頃かなあ。でも大型免許は18歳からしか取れないから。普通免許は16で取れたんだけど。しょうがねえから学校行くかってなって。高校はもう行けねえから、うちの親父が建築業やってたっていうのもあって、夜間の建築学校行って、昼間は親父に紹介してもらった棟梁のところに行って、っていう生活。でも一年の半分は逃げてトラック乗ってて、半分は大工やってた。

T:なるほど。

N:学校はちゃんと通って。3年間。技術も全部覚えて。一応、家も建てられるぐらいにはなってたんだけど、やっぱりトラックの方に逃げて。

T:もういいだろと。言われたことはしたぞ、と。

N:そしたら親父が死んじゃったわけ。

T:あーそうなんすか。

N:俺が19の時。さっきも言ったように親父は建築会社やってたから、後を継がなきゃいけないわけだ。二十歳前のガキが後を継いでさ、20人とか30人とかの社員がいてさ、役場と交渉して公共事業をやれと。「できるわけない!」って。「やりたくない!」って言って。
そしたら、親父の下で働いてた棟梁が「家を一軒か二軒建ててみろ。それができたら一人前だって認めてやる」って言って。で、建てたわけ。

T:やることはやったんだ。うん。

N:で、建てた。そしたら認めてくれたから、トラックで走ることにした。

T:なるほどね。やっぱ「雲助」って言うくらいだから、最初は一人で仕事をとってくるんですか?

N:いや、まずは色んな人に使われたね。中学の終わりくらいからトラックの世界に足を踏み入れたせいで、色んな人の顔を覚えていたから。親父の後も継がないって言った手前、こっちはこっちで色んなトラックの親方衆に認めてもらわなくちゃなんないから。

T:トラック稼業を?

N:うん。とりあえず色んな人と知り合って。運転手の人に弟子入りして。

T:弟子入りというのはどういうことなんですか?

N:要は助手から叩き込まれるわけ。一から叩き込まれる。

T:例えば?

N:例えば……運転手が来る前にフロントガラスとかバックミラーとかを拭いて綺麗にするとか、車体を洗ったりとか。

T:そういう時代があったってことね。

N:あった。で、助手席に座ってね。道路を覚える。

T:まず道路覚えるんだ。

N:うん。あとは今みたいに簡単にギアが入るような車じゃないから、運転手を見て、技術を覚える。これがもう、ギアが入んないのよ!

T:それを見て覚える?

N:今は素人でもギアは入るし、女の子でも簡単に入るじゃない。当時はシンクロの時代じゃないから、クラッチなんて入るわけない。ミッションとエンジンの回転数を合わせないと。

T:見て覚えるだけじゃなくて、音で覚えたりもするんだ……。

N:そう。だから、まずは助手から始める。今はもう誰でも乗れるけどね。ノークラ(AT)もある時代だからね。で、とにかく覚えて、師匠に認めてもらって。でも、認められたとしても、まだ免許を持ってないんです。19歳の頃。そしたら師匠が「おまえ、自動車学校行かなくていいから」って。

T:行かなくていいから!(笑)

N:「俺の生年月日と本籍地の住所を暗記しろ」って。で、無免許で九州とか四国まで走ってた。

T:(笑)

N:魚積んで。

T:魚! じゃあ、それが一番初めの!

N:そう。初めての。